館山の歴史
最終更新日:令和5年6月1日

【館山市誕生】
昭和14(1939)年11月3日、館山北条町、那古町、船形町が合併し、館山市が成立しました。
館山北条町は、昭和8(1933)年に館山町と北条町が合併した町です。
昭和29(1954)年5月3日、西岬村、神戸村、富崎村、豊房村、館野村、九重村の6ヵ村を合併して
現在の館山市となりました。
【館山市の10地区】
海あり山ありの館山市は館山・北条・那古・船形・西岬・神戸・富崎・豊房・館野・九重の10地区にわかれています。
館山(たてやま)
館山(たてやま)は、市の中心部にあり、戦国時代に里見氏によって築かれた館山城の城下町として整備され、港町として栄えました。昭和の初めに海軍の航空隊が置かれるなど戦争とも深いかかわりを持っています。
- 明治22年 館山町・上真倉村・下真倉村が合併して館山町となる/沼村・宮城村・笠名村・大賀村が合併して豊津村となる
- 大正 3年 館山町・豊津村が合併して館山町となる
北条(ほうじょう)
北条(ほうじょう)は、平久里川と汐入川にはさまれた館山市の中心地です。明治時代以降は安房郡の政治経済の中核として発展し、鉄道の駅ができてからは駅前を中心とした商店街がにぎわいをみせました。
- 明治22年 北条町・新宿町・長須賀村・八幡村・湊村・高井村・上野原村と正木村の一部が合併して北条町となる
那古(なご)
那古(なご)は、坂東三十三番観音巡礼札所の那古寺の門前町として古くから栄えました。平久里川の北にあり、西側は東京湾に面しています。南側は平地、北側は山地で稲作を中心に野菜や酪農、果樹栽培などが行われてきました。
- 明治22年 那古村・正木村・亀ヶ原村・小原村が合併して凪原村となる
- 明治26年 凪原村、町制を施行して那古町と改称する
船形(ふなかた)
船形(ふなかた)は、古くから漁業が盛んで現在も館山有数の漁業基地です。江戸時代には干鰯や薪などを江戸に送る廻船業で栄え、カツオ船などに供給するえさイワシの発祥の地でもあります。房州うちわの生産地としても知られていました。
- 明治22年 船形村・川名村が合併して船形村となる
- 明治30年 船形村、町制を施行して船形町となる
西岬(にしざき)
西岬(にしざき)は、市の西側に大きく突き出した位置にあり、三方を海に囲まれています。海岸まで山が迫るため平地が少なく、温暖な気候を生かした花づくりや漁業で栄えました。
- 明治22年 香村・塩見村・浜田村・早物村・見物村・加賀名村・波左間村・坂田村・洲崎村・川名村・伊戸村・坂足村・小沼村・坂井村が合併して西岬村となる
神戸(かんべ)
神戸(かんべ)は、館山の南側にあり、安房国一宮である安房神社があります。古代、安房神社を支える人たちの家があったことから神戸と呼ばれました。砂防林によって守られてきた農地ではレタスなどの野菜や花の栽培が盛んに行われています。
- 明治 7年 松岡村・南竜村・北竜村が合併して竜岡村となる
- 明治22年 大神宮村・中里村・竜岡村・犬石村・佐野村・藤原村・洲宮村・茂名村・布沼村が合併して神戸村となる
富崎(とみさき)
富崎(とみさき)は、館山市の南端、海に面した地区です。平地が少なく富崎漁港を中心に家が集まっています。昔から漁業が盛んで、明治期にはマグロ延縄漁で栄えました。青木繁が「海の幸」を描いた場所であり、安房地方で歌われる「安房節」発祥の地でもあります。
- 明治22年 布良村・相浜村が合併して富崎村となる
豊房(とよふさ)
豊房(とよふさ)は、館山市の南東部にある山あいの地域です。土地が豊かで昔から稲作を中心に農業が行われてきました。畑地区は有数の千両の産地として知られ、神余や西長田には中世の遺跡が多く残されています。
- 明治8年 南条村より大戸村・作名村が分村する
- 明治10年 山荻村と永代村が合併して山荻村となる
- 明治22年 東長田村・西長田村・出野尾村・岡田村・大戸村・南条村・飯沼村・古茂口村・山荻村・作名村・畑村・神余村が合併して豊房村となる
館野(たての)
館野(たての)は、館山市東部の平地に広がる地域です。奈良時代には国分寺が置かれ、安房の中心として発展しました。古墳や条里跡の遺跡や里見氏が拠点とした稲村城跡の史跡が残っています。この地区は米や野菜づくりが盛んで、特に観光イチゴ園は地域を代表する産業の一つです。
- 明治7年 稲村と加戸村が合併して稲村となる
- 明治10年 山本村・大作村・滝川村が合併して山本村となる
- 明治22年 大網村・安布里村・山本村・国分村・稲村・腰越村・広瀬村が合併して館野村となる
九重(ここのえ)
九重(ここのえ)は、館山市の一番東側にあり、9つの村が合併した際にこの名前になりました。豊かな平野部では、稲作や酪農などの農業が行われています。奈良時代から土地開発が進んだ地域で、やぐらや仏像などから、中世には豪族たちが活発に活動していたことがわかっています。
- 明治8年 南片岡村・北片岡村・清水村が合併して水岡村となる
- 明治22年 宝貝村・安東村・二子村・薗村・水玉村・大井村・竹原村・江田村・水岡村が合併して九重村となる
館山の歴史ダイジェスト
年号(西暦) | 館山のできごと | 日本のできごと |
BC4000ごろ | 沼サンゴ層が陸地化する | 縄文海進(BC4500ごろ) |
BC2000ごろ | 鉈切洞穴で人が生活 | |
養老2(718) | 安房国成立 | 大宝律令制定(701) |
治承4(1180) | 源頼朝安房に敗走 | 源頼朝が鎌倉に幕府を開く(1185) |
康正2(1456)ごろ | 里見義実が稲村城で安房を支配 | |
天正19(1591) | 里見義康が館山城に移り城下町を建設 | |
慶長19(1614) | 里見忠義が倉吉に改易。里見氏の支配が終わる。 | 徳川家康が江戸に幕府を開く(1603) |
元禄16(1703) | 元禄地震。布良・相浜で大津波被害 | 『南総里見八犬伝』の出版始まる(1814~1842) |
明治4(1871) | 廃藩置県で館山藩が館山県に のちに木更津県に統合 |
江戸幕府が滅ぶ(1868) 木更津県、印旛県統合され千葉県成立(1873) |
明治11(1878) | 東京-館山間に汽船就航 | |
大正8(1919) | 安房北条駅(現館山駅)まで鉄道開通 洲埼灯台点灯 |
第一次世界大戦始まる(1914) |
大正12(1923) | 関東大震災 | |
昭和5(1930) | 館山海軍航空隊設置 | |
昭和13(1938) | 花栽培が禁止される | 国家総動員法発令(1938) |
昭和14(1939) | 館山北条町、那古町、船形町が合併し館山市成立(千葉県下5番目) | 太平洋戦争勃発(1941) |
昭和20(1945) | 米軍が館山に進駐 | 終戦(1945) |
昭和24(1949) | 平砂浦の砂防林工事開始 | |
昭和28(1953) | 警備隊(のちの海上自衛隊)館山航空隊開隊 | |
昭和29(1954) | 西岬、神戸、富崎、豊房、館野、九重の6ヵ村館山市に合併 | |
昭和33(1958) | 南房総の海岸が国定公園に指定される | |
昭和41(1966) | 南房州有料道路(房総フラワーライン)開通 | |
平成5(1993) | 一般国道127号館山バイパス全線開通 | 東京湾アクアライン開通(1997) |
平成11(1999) | 館山駅新駅舎供用開始 | 東京湾アクアライン開通(1997) |
平成15(2003) | 房州うちわが経済産業大臣指定伝統的工芸品に | |
平成19(2007) | 東関東自動車道館山線全線開通 | |
平成22(2010) | 館山夕日桟橋竣工 | |
平成24(2012) | 里見氏城跡稲村城跡が国指定史跡に指定される 交流拠点「"渚の駅"たてやま」オープン |
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平成29(2017) | 千葉工匠具が経済産業大臣指定伝統的工芸品に | |
令和元(2019) | 市政施行80周年 |
館山市の歴史をもっと詳しく知るには
館山市立博物館本館・館山城(八犬伝博物館)・分館(渚の博物館)、戦争遺跡・赤山地下壕跡、市内の指定文化財、里見氏・南総里見八犬伝については、「歴史ロマンを探検」のページからご覧ください。
また、「たてやまフィールドミュージアム」では、館山市立博物館で発行した展示図録や歴史散策マップを紹介しています。
また、「たてやまフィールドミュージアム」では、館山市立博物館で発行した展示図録や歴史散策マップを紹介しています。
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