九重地区は館山市の東部に位置し、古代には既に大規模な土地開発が
行われていた地域です。九重の命名は明治22年に九重村ができたとき
のものですが、当時の9か村が合併してできた村であることを意味して
います。
肥沃な沖積平野に農業を営む純農村地域で、市全域の8.8%にあた
る9.73kuの面積に、人口が1980人で市全体の3.8%の人が生
活しています。(平成15年度4月1日現在)
平野部をつつみ込むように丘陵部があり、大井角田や竹原滝ノ谷をは
じめ、山の中腹には横穴古墳が数多く散在しています。さらに江田や竹
原の平野部には律令時代の条里遺構が確認されており、開発の古さを物
語ります。また安東を中心に水岡・宝貝などには南北朝時代前後のヤグ
ラや石仏・石塔・仏像などが残され、中世にも有力な豪族が活動してい
たことがわかります。
戦国時代から江戸時代の初めまでは里見氏が支配し、江戸時代には宝
貝・南片岡・北片岡・清水・安東・二子・薗・水玉・大井・竹原・江田
の11か村があって、清水村は江戸時代を通じて本織の延命寺領で他は
北条藩屋代氏や水野氏などが支配していました。1711年には屋代氏
の領内で万石騒動がおきています。明治8年に南片岡・北片岡・清水の
3か村が合併して水岡となり、明治22年に他の8か村と合併して九重
村が成立、館山市と合併したのは昭和29年のことです。
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