【国指定史跡】里見氏城跡 稲村城跡
最終更新日:令和6年5月30日

指定名称
里見氏城跡 稲村城跡
(さとみししろあと いなむらじょうあと)
(さとみししろあと いなむらじょうあと)
種別
国指定史跡
指定日
平成24年(2012)1月24日
所在地
千葉県館山市大字稲字城山 他 (岡本城跡は南房総市)
所有者
個人・館山市
概要
里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代、約170年間にわたり、房総半島南部を拠点とした一族です。房総里見氏は、初代里見義実が白浜城(南房総市)に本拠地を構えて以降、その時々の状況に応じて、拠点とする城を変えています。
稲村城は、16世紀前半、3代義通が居城とした城で、4代義豊が5代義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城です。館山平野中央部南辺の丘陵端にあります。丘陵先端部にある主郭は、東と南の二辺に高さ約3mの土塁を持ち、北と西の斜面は、丘陵の側面をかき落とし障壁とする切岸手法を駆使し防御としています。主郭の規模や、切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きんでています。
岡本城は、義堯の孫義頼が16世紀後半に本拠とした城です。現在の館山湾を望む丘陵状に造られ、城跡の規模は、東西約600m、南北約300mに及び、この地域の城の中では抜きんでた規模を持ちます。中心部分は3つの曲輪からなり、山頂の主郭の北東に広がる曲輪は、港としての機能を持っていたと推定されています。
里見氏城跡は、房総半島における中世山城の変遷や、この地域の社会・政治情勢を知る上でも重要な史跡です。
稲村城は、16世紀前半、3代義通が居城とした城で、4代義豊が5代義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城です。館山平野中央部南辺の丘陵端にあります。丘陵先端部にある主郭は、東と南の二辺に高さ約3mの土塁を持ち、北と西の斜面は、丘陵の側面をかき落とし障壁とする切岸手法を駆使し防御としています。主郭の規模や、切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きんでています。
岡本城は、義堯の孫義頼が16世紀後半に本拠とした城です。現在の館山湾を望む丘陵状に造られ、城跡の規模は、東西約600m、南北約300mに及び、この地域の城の中では抜きんでた規模を持ちます。中心部分は3つの曲輪からなり、山頂の主郭の北東に広がる曲輪は、港としての機能を持っていたと推定されています。
里見氏城跡は、房総半島における中世山城の変遷や、この地域の社会・政治情勢を知る上でも重要な史跡です。
参考
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教育委員会教育部生涯学習課文化財係
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千葉県館山市北条740-1 館山市コミュニティセンター内
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