「稲村城跡」調査研究事業と国史跡指定答申
最終更新日:平成24年4月26日

館山市稲村城跡調査研究事業
事業の実施方法
館山市が、国庫及び千葉県費の補助を受けて、平成18・19年度の2ヵ年事業により学術調査を実施しました。稲村城跡の実態を把握し、遺跡の保護・活用を図るための基礎資料を得ることを目的としました。
調査方法、調査範囲については、館山市稲村城跡調査検討委員会で審議し、計画の決定を行い、文化庁・千葉県教育庁教育振興部文化財課の指導を得ながら、館山市教育委員会が事業を実施しました。
【平成18年度事業】
【平成19年度事業】
【平成21年度事業】
調査方法、調査範囲については、館山市稲村城跡調査検討委員会で審議し、計画の決定を行い、文化庁・千葉県教育庁教育振興部文化財課の指導を得ながら、館山市教育委員会が事業を実施しました。
役 職 | 氏 名 | 職 名 等 |
委員 | 愛沢 伸雄 | NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長 |
委員 | 天野 努 | 館山市文化財審議会委員 |
委員 | 石井 達郎 | 館山市教育委員会教育長 |
委員長 | 河原 純之 | 元文化庁文化財保護部記念物課主任文化財調査官 |
副委員長 | 椙山 林繼 | 國學院大學神道文化学部教授 |
委員 | 滝川 恒昭 | 千葉県立船橋高等学校教諭 |
委員 | 脇田 安保 | 稲共有地代表者 |
【平成18年度事業】
- 主郭部及び根古屋を範囲とした地形測量を行い、1/500の測量図を作成しました。
- 稲村城跡周辺の社寺文化財調査を行いました。
【平成19年度事業】
- 中郭部におけて、調査面積200m2の発掘調査を実施しました。詳細は、説明会資料をご覧下さい。
- 千葉城郭研究会の協力をいただき、縄張図を作成しました。
- 古文書など、周辺地域に残る史料調査を行いました。
- 平成18・19年度調査研究事業の成果を、調査報告書にまとめ、平成20年3月に刊行しました。
【平成21年度事業】
- 稲村城跡主郭部の詳細踏査及び稲村城跡の近隣に所在する大小の城跡踏査を行いました。
- 前期里見氏に関する文献調査と伝承調査を行いました。
- 平成21年度調査研究事業の成果を調査報告書にまとめ、平成22年3月に刊行しました。
館山市稲村城跡の国史跡指定答申

国の文化審議会は、平成23年(2011)11月18日(金)に開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、稲村城跡を南房総市の岡本城跡とともに、国史跡として指定することについて、文部科学大臣に答申しました。
稲村城跡の概要
里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代、約170年間にわたり房総半島南部を拠点とした一族です。房総里見氏は、初代里見義実(さとみよしざね)が白浜城(南房総市)に本拠を構えて以降、その時々の状況に応じて、数次にわたって本城を移動させています。
稲村城は、16世紀前半、3代義通(よしみち)が居城とした城で、4代義豊(よしとよ)が5代義堯(よしたか)に攻め滅ぼされた「天文(てんぶn)の内訌(ないこう)」の舞台となった城です。
館山平野中央部南辺の丘陵端に位置し、丘陵先端部にある主郭は東と南の二辺に高さ約3mの土塁を持ち、北と西の斜面は丘陵の側面を掻き落とし障壁とする切岸手法を駆使し防御としています。
主郭の規模や切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きんでています。
稲村城は、16世紀前半、3代義通(よしみち)が居城とした城で、4代義豊(よしとよ)が5代義堯(よしたか)に攻め滅ぼされた「天文(てんぶn)の内訌(ないこう)」の舞台となった城です。
館山平野中央部南辺の丘陵端に位置し、丘陵先端部にある主郭は東と南の二辺に高さ約3mの土塁を持ち、北と西の斜面は丘陵の側面を掻き落とし障壁とする切岸手法を駆使し防御としています。
主郭の規模や切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きんでています。
稲村城跡の歴史的価値
- 1533・1534(天文2・3)年の内乱を契機にその機能を停止したことから、戦国時代後半の手が加えられていない、戦国時代前半の城の姿をとどめていること。
- 主郭の規模や切岸の範囲は、同時期の房総半島の城の中では抜きんでていること。
- 里見氏城跡は、房総半島における中世山城の変遷やこの地域の社会・政治情勢を知る上でも重要です。
これまでの調査成果
- 昭和58(1983)年度の千葉県教育委員会による「千葉県中近世城跡確認調査」により、歴史資料としての重要性が広く知られるようになりました。この調査では城郭遺構がみられる城山と呼ばれる丘陵を主郭部ととらえ、南へ連続する丘陵を中郭部、それらを東西から包むように延びる丘陵を外郭部と捉えて、所堅固の広大な城郭であるという評価がされました
- 平成18~21年度の館山市教育委員会による調査によって、築造当初の主郭を中心とする単郭構造の城が規模を拡大しつつ整備されていたものの、1533・1534(天文2・3)年の内乱によって稲村城跡が途絶したことが確認されました。
史跡の指定範囲
今回指定の範囲は、土塁(どるい)、虎口(こぐち)、細尾根を断ち切る堀切(ほりきり)、土橋(どばし)などの遺構が集中してみられる主郭部の一部です。


稲村城跡遠景(北から) 主郭土塁(北から)


堀切(主郭南部) 切岸
里見氏城跡 岡本城跡(南房総市)について
岡本城は義堯(よしたか)の孫義頼(よしより)が16世紀後半に本拠とした城です。
現在の東京湾を望む丘陵上に造られ、城跡の規模は東西約600m、南北約300mに及び、この地域の城の中では抜きんでた規模を持ちます。
中心部分は3つの曲輪からなり、山頂の主郭の北西に広がる曲輪は、港としての機能を持っていたと推定されています。
現在の東京湾を望む丘陵上に造られ、城跡の規模は東西約600m、南北約300mに及び、この地域の城の中では抜きんでた規模を持ちます。
中心部分は3つの曲輪からなり、山頂の主郭の北西に広がる曲輪は、港としての機能を持っていたと推定されています。


岡本城跡近景 岡本城跡北側尾根から大房岬を望む
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