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軍記物の普及 |
里見氏が安房からいなくなっても、伝承(でんしょう)として多くの話が残されました。
江戸時代の里見氏の顕彰(けんしょう)は、軍記物(ぐんきもの)という書物からはじまりました。里見氏に祖父の代から三代にわたって仕えていたという元百人衆の山田遠江介が、『里見代々記』や『里見九代記』『里見軍記』などを1631年に著したというものや、1762年に安房神社の神主岡島成邦(しげくに)が書いた『房総里見誌』は、合戦で活躍する人々の描写もこまかく、読み物として楽しめるため、後の人に与えた影響の大きなものでした。 |

里見九代軍記
(館山市菊井氏蔵)
延享五年(一七四八)写しの『里見九代記』。里見氏の子孫というお宅に伝えられてきた。 |
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江戸時代の顕彰事業 |
延命寺(えんめいじ)で所蔵する1680年制作の「源氏里見系図」は、里見氏の菩提寺(ぼたいじ)であるにもかかわらず、寺に里見氏についての記録がないことを嘆いた住職の依頼で、平山勝岑(かつみね)という人が江戸で資料を集めて作ったものです。
前期里見氏の菩提寺杖珠院(じょうじゅいん)でも、住職の楽水軒(らくすいけん)という人が里見氏の顕彰(けんしょう)を行なっています。境内の墓地に里見義実の墓としてあるものは、この人が1771年に建てた供養塔(くようとう)です。里見成義(しげよし)の墓があったと伝えられていた白浜村の青木(あおき・白浜町)では、地元の人によって1832年に里見氏の記念碑(きねんひ)が建てられるなど、数多くの顕彰が行われています。 |

里見義実の供養塔
(白浜町杖珠院)
前期里見氏の菩提寺杖珠院にある里見氏の墓は、江戸時代の明和八年(一七七一)に建てられた。 |

青根原神社の里見氏顕彰碑
(白浜町青木)
白浜城主の居館があったと推定されている青根原神社は、里見義成の墓があったといわれていたところでもある。その場所に天保三年(一八三二)、里見氏の記念碑が建てられた。文章は当時の江戸を代表する漢詩人大窪詩仏に頼んでいる。 |
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郷土史への関心 |
明治時代(めいじじだい)になると、地域の地名や地形・産物・習慣・伝承などをまとめた地誌(ちし)をつくろうという動きがうまれます。1886年には『安房国誌』が刊行されました。
地誌というかたちで郷土(きょうど)に目を向けるこころみは、当時の学校教育のなかでも教科書として作られた『千葉県地誌略』や『千葉県小学地誌』などをとおしても行なわれていました。『安房志』に代表されるような里見氏に関する情報をまとめた本は、以後数多く出版されています。(資料編をみよう) |

『安房名勝地誌』
(館山市立博物館所蔵)
明治三十年(一八九七)に北条の鳥海書店から出版された安房地方の地誌。 |
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里見氏古蹟保存事業 |
そうした関心のひろがりは、里見氏の古蹟(こせき)やお墓などの整備にむすびつきました。里見氏にゆかりのある場所を大切にしようという運動でした。
また江戸時代の出版以来、芝居などをとおして人気が定着してきた『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん)が、明治・大正時代になると普及本(ふきゅうぼん)も数多く出版されるようになりました。しかし、里見氏の歴史と物語の八犬伝が、区別されないようになってしまいました。 |

里見氏旧跡の碑(三芳村延命寺)
里見氏古蹟保存事業を記念して、延命寺の門前に建てられた。題字は東京の書家諸井春畦が書き、妻の華畦が文章を書いている。二人は事業の資金集めにも協力した。
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富山登山道の道標(富山町合戸)
地元の人々によって建てられた道標。はやくも大正元年に、富山へのハイキングと八犬伝を利用した観光宣伝がはじまった。 |
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『房総里見氏の研究』 |
里見氏の時代に書かれた史料をつかってこれまでの間違いを直し、また里見氏の時代の房総や関東全体の歴史の動きと照らし合わせて何が正しいのかを判断して、里見氏の歴史を整理し明らかにしたのが、1933年に発表された大野太平(おおのたへい)の『房総里見氏の研究』。700ページにおよぶその研究は、それ以後の里見氏に対する認識の基本となり、研究者のあいだでも大きな影響力をもち続けました。 |

『房総里見氏の研究』
(館山市大野氏蔵)
本人が所有していた刊本。各ページには行間や付箋に自筆の書込がたくさんある。出版したあとも研究が続けられていたということだ。 |
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戦後の里見氏研究 |
戦後、実証(じっしょう)による研究を発展させるために、歴史史料(れきししりょう)を数多くしかも地域ごとに分別して集めることが自治体を中心に行なわれるようになってきました。そのおかげで、戦国時代の研究はどんどん進んでいます。間違った認識(にんしき)はきちんと改め、正しい理解を深めていくようにしたいものです。 |
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第六章 そして里見氏はいなくなった
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その後の里見氏 |
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里見氏以後の安房と家臣たち |
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里見氏顕彰と研究の歴史 |
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