館山海軍航空隊掩体壕

最終更新日:平成24年4月26日

インライン画像■ 館山海軍航空隊掩体壕(えんたいごう)ってなあに?
 館山海軍航空隊は、海軍5番目の航空隊(昭和20(1945)年の終戦の時には、54の海軍航空隊があった)として、昭和5(1930)年にできました。
 そのあと、現在の館山市沼から香にかけての地区には、さきほど見学した射撃場跡や、飛行機の部品や弾薬、食料、燃料などを保管するための倉庫や、この「掩体壕」などさまざまな建物がつくられました。
 昭和14(1939)年の記録によると、館山海軍航空隊には、97式艦上攻撃機を中心に124機の飛行機がありました。この時の、館山海軍航空隊の役割は、中国で行われていた戦争に飛行機を送ることでした。
しかし昭和16(1941)年に、日本とアメリカが戦争をはじめると、館山海軍航空隊は、東京、東京湾、太平洋岸を守るための基地として使われました。戦争が終ったあとに、日本軍からアメリカ軍に渡された記録によると、終戦の時には、零戦、紫電など41機の飛行機しか残っていませんでした。
この「掩体壕」は、アメリカ軍の飛行機に爆弾を落とされても飛行機を守ることができるよう、全体が分厚いコンクリートで固められています。館山海軍航空隊と洲ノ埼海軍航空隊の周辺には40以上の掩体壕がつくられましたが、現在残っているのは、この宮城のものと、香(こうやつ)に残っている大型の掩体壕の2つだけです。
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