伝統工芸としての房州うちわ

最終更新日:平成24年4月26日

インライン画像房州うちわの歴史
 
 明治23年、那古に住む忍足信太郎さんが割ぎ竹の加工を内職として手がけたのが房州でのうちわ作りの始まりで、それまでは丸竹のままうちわの材料として問屋に出荷されておりました。
 30年になって、同じ町に住む岩城庄吉さんが本格的に『割ぎ竹』の加工をはじめ、大量の加工品を出荷する様になり、大正のはじめには『マド』と呼ばれるうちわの骨作りまでの加工が出来る様になったそうです。
 房州うちわとして一貫生産される様になったのは、当時日本橋堀江町でうちわ問屋をしていた松根屋のあるじ、横山寅吉さんが船形に移って、うちわ作りを始めた大正10年からです。その後大正12年関東大震災でうちわ問屋の大半が大火に見舞われた事が重なって、県の地元産業育成指導の協力を得て、町をあげてのうちわ作りが始められました。
 那古、船形、富浦は古くからの漁師まちで、働きざかりの男達が漁に出たあと、家に残された婦人たちや老人の手打職としてうちわ作りは歓迎され、昭和初期には年間700万本ものうちわが生産される様になりました。
 電化製品の普及、賃金の高騰など、さまざまな社会情勢の変化から実用品としてのうちわは使われなくなり、現在は約40万本と最盛期の1/20になってしまいましたが、手工芸品としての評価が『伝統工芸』として珍重され、今新しい魅力に置き換えられようとしております。
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