【市指定史跡】館山城跡
最終更新日:令和5年10月10日

指定名称
 館山城跡
(たてやまじょうせき)
 
      (たてやまじょうせき)
種別
 市指定史跡
        
 
      指定日
 昭和35年(1960)6月16日指定
        
 
      所在地
 館山市館山362-3他
        
 
      所有者
 国・館山市
        
 
      概要
 館山城は標高65.7mほどの独立丘陵につくられた平山城で、東西と北面は急崖による天然の要害となっています。また、東から北にかけては人口の堀をめぐらした堅固な城です。
豊臣秀吉による天下統一で諸大名は領土拡大から経済活動の拡大への方針を転換し、里見氏9代義康も交易の拠点を大きな湊をもつ館山に定め、天正19年(1591)に内湾と平野を見下ろす館山に本城を移します。ここが里見氏最後の居城となりますが、その間につくられた城下町が現在の館山市の基礎となりました。
第二次大戦中に高射砲陣地とされたため山頂が7mも削られ、周辺も著しく破壊されているため、昭和53~55年の発掘調査では、御殿跡や、鹿島堀跡が確認されているのみです。城山の東側も城郭の一部で、御霊山(ごりょうやま)の東側には堀跡が残っています。慶長19年(1614)に10代忠義が伯耆(ほうき)国に移封を命じられると、館山城は破却されました。
 
      豊臣秀吉による天下統一で諸大名は領土拡大から経済活動の拡大への方針を転換し、里見氏9代義康も交易の拠点を大きな湊をもつ館山に定め、天正19年(1591)に内湾と平野を見下ろす館山に本城を移します。ここが里見氏最後の居城となりますが、その間につくられた城下町が現在の館山市の基礎となりました。
第二次大戦中に高射砲陣地とされたため山頂が7mも削られ、周辺も著しく破壊されているため、昭和53~55年の発掘調査では、御殿跡や、鹿島堀跡が確認されているのみです。城山の東側も城郭の一部で、御霊山(ごりょうやま)の東側には堀跡が残っています。慶長19年(1614)に10代忠義が伯耆(ほうき)国に移封を命じられると、館山城は破却されました。
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