【県・市指定史跡】安房国分寺跡

最終更新日:令和5年10月10日


金堂跡と推測される基壇

指定名称

安房国分寺跡
(あわこくぶんじあと)

種別

千葉県指定史跡/館山市指定史跡

指定日

県:平成4年(1992)2月28日指定/市:昭和32年(1957)12月16日指定

所在地

県:館山市国分959-2他/市:国分958-1他

所有者

県:国分寺/市:国分寺他

概要

日色山国分寺を中心とする一帯が、安房国分寺跡とされる場所です。寺の入り口を道路が南北に横切っていて、館山平野で確認されている条里制の跡の方位と一致していることから安房国分寺がかつては条里の中に組み込まれていたことがわかります。

奈良時代の天平13年(741)、国家の平安を保つために、聖武天皇により「国分寺建立の詔(こくぶんじこんりゅうのみことのり)」が出され、各国に国分寺が建てられました。ところが、安房は天平13年(741)に上総国に併合され、天平宝字元年(757)に再び分立されている国のため、上総国、下総国より遅れて、奈良時代の後半に国分寺・国分尼寺が建立されたと考えられています。一方で『続日本紀(しょくにほんぎ)』などには、安房国分寺はなかったともとれる記事があることなどから、すでにあった寺を国分寺にあてたという説もあります。

昭和51~53年の発掘調査で、寺の中心をなす金堂の跡と考えられる基壇(きだん)が確認され、その周辺から軒先に用いる丸瓦のほか、全国でも珍しい三彩の獣脚(じゅうきゃく)などが出土しました。しかし、上総や下総の国分寺のような伽藍配置をもつ複数の建物跡は確認されていません。また、国分寺の北方約900mのところには「アマンボウ」という地名があり「尼坊」と考えられることから、安房国分尼寺の推定地の一つになっています。
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