第59震洋隊関係
最終更新日:令和6年8月22日
旧日本海軍の海の特攻兵器のひとつが「震洋」です。敗色濃厚となった戦局を一挙に挽回するために開発され、太平洋を震撼させるという意味で、震洋と名づけられました。
入江の奥の洞窟などから出撃し、上陸しようとする敵艦に体当たり攻撃することが目標とされ、昭和19年から翌20年の終戦まで、約6,200隻が建造されました。
フィリピン、台湾、小笠原、沖縄など日本周辺の島々のほか、全国の米軍上陸予想地点の沿岸各地に基地が建設され、房総半島では現在の銚子市・勝浦市・鴨川市・館山市に震洋隊が展開しました。
入江の奥の洞窟などから出撃し、上陸しようとする敵艦に体当たり攻撃することが目標とされ、昭和19年から翌20年の終戦まで、約6,200隻が建造されました。
フィリピン、台湾、小笠原、沖縄など日本周辺の島々のほか、全国の米軍上陸予想地点の沿岸各地に基地が建設され、房総半島では現在の銚子市・勝浦市・鴨川市・館山市に震洋隊が展開しました。
第59震洋隊波左間基地
昭和20年7月14日、真鍋康夫中尉を部隊長とする総員176名の第59震洋隊が、主力を西岬地区の波左間に、一部を洲崎に置き配置されました。
終戦後の米軍への「引渡目録」によると、波左間には艇格納庫7本・燃料庫1本・兵器庫1本・糧食庫1本・居住用3本が掘られたことがわかっています。
波左間基地跡の泛水地
終戦後の米軍への「引渡目録」によると、波左間には艇格納庫7本・燃料庫1本・兵器庫1本・糧食庫1本・居住用3本が掘られたことがわかっています。
波左間基地跡の泛水地
第59震洋隊洲崎基地
洲崎には、艇格納庫4本(1本は分岐して兵器庫)・燃料庫1本・兵器庫1本の地下壕が掘られていたことがわかります。
洲崎灯台下に掘られた素掘りの格納壕
洲崎灯台下に掘られた素掘りの格納壕
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