東京湾要塞関係

最終更新日:令和6年8月22日

日本の近代化がはじまった明治時代。当時の政府にとって、外国の軍艦の侵入から首都東京を守ることが重要なことでした。

そのため、当時の陸軍は、東京湾岸にたくさんの砲台を築きます。こうして東京湾要塞が完成し、砲台のネットワークがつくられ、館山市内には、洲崎第1砲台(1932年完成)、洲崎第2砲台(1927年完成)、北側の富浦町に大房岬砲台(1932年完成)がつくられました。
    
東京湾要塞第1区地帯標

洲崎第二砲台

東京湾要塞を構成した砲台が、現在の館山市内には、洲崎第一・二砲台と2つありました。

名称とは逆に、洲崎第二砲台のほうが古く、大正13年(1924)10月に工事が始まり、昭和2年(1927)3月に完成しました。

洲崎第二砲台は、敵の軍艦から見つからないように、坂田漁港南方にある深い谷間の、標高が低い位置につくられました。

また、大砲に必要なものが弾薬です。 洲崎第二砲台跡から、さらに約100m奥の山腹に横穴を掘りつくられ、昭和2年(1927)3月に完成したのが洲崎弾薬支庫です。 洲崎第二砲台砲座跡
洲崎第二砲台砲座跡
隧道式砲側庫跡内部
隧道式砲側庫跡内部
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