神余氏城跡 (写真は、樹木が生い茂った城山)
「平田原」といわれる地に小山がある。城山、和田山、お薬師山ともいわれ、そのふもとを「城之腰」といっている。頂
上には、もと、薬師堂が建っていたが今はない。
頂上に登ってみると直径約80メートルの円形の平地で、周囲には1メートルくらいの高さに土塁が築かれている。平地のほぼ中央部に
2メートルくらいの高さで、8メートル四方の土塁が明治40年頃まであったといわれるが、取り除かれ平地になっている。城跡と言って
も物見櫓があったと思われる。「安房誌」によると
「山腹に金丸氏祖先の墓石15・6基あり、碑面剥滅して読むべからず、中
に西念入道大介茂総の碑あり、碑面に西念法師、天明6午年6月14日の字を刻す」
とあるが、墓石は不明である。
神余氏の屋敷跡は、現在の神余小学校敷地である。城を持たない武士としての、公私の用務を行うのに便利に 作られていた。屋敷の周りに堀の代わりに巴川を利用した。自然の丘陵を活用して城塁を山の上に築き、物見や戦争のと
きの籠城用とした。鎌倉時代以降の土豪の典型的屋敷跡である。