西岬のうつりかわり


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西岬14ヶ村の戸数
(東公民館)

江戸時代 塩見の人 
太田新四郎の記念碑(東公民館)

幕末に海岸を警備した白河藩士と
家族64名を供養する墓
(東伝寺)

65年間(明治22年〜昭和29年)
西岬村役場があったあと(見物)

東京湾要塞第一区地帯標
(昭和5年)

日清戦役 日露戦役
がいせん記念碑

船越鉈切神社(浜田区)の石とうろう
1813浜田村江川与七らが願主となり湾岸の50以上の村々と漁師の寄進で建てられました

2万年前にできたどうくつ 縄文時代には住居 古墳時代には一部墓所 戦争中は防空壕

鉈切神社は海神の御子・豊玉姫命をまつる 
海南刀切神社と共に上之宮・下之宮として一社一神とみなされています海神を祭る地元漁民の信仰をあつめる神社

たくさんの彫刻 龍 獅子 天岩戸開き絵 大和大蛇退治図 孝子図などたくさんのものが所蔵されています 明治16年作

市指定文化財 1697 紀州栖原鯛網漁師で房総に出漁しにきた芦内佐平次らが寄進したものです

鉈切の伝説にまつわる鉈 移住民が断崖を切り開いて道を作ったとか大蛇を退治した鉈だとかいわれています

今も雨ごいをいのる踊りが
小学生により奉納されています

平安期ころのものと考えられています
今は一艘だけが残っています

昔の土器

土器や動物の骨

海南刀切神社(見物区)

海南刀切神社のかっこ舞

日露戦争記念碑
西岬村から日露戦争に出征した134名の名をきざんでいる(1894 1926 1935)

高さ10mの真っ二つに分かれている異様な形の巨岩の前に本殿は建てられている 大蛇退治の伝説がある

洲崎神社 古代からの漁業神 航海神 源頼朝が安房へ逃れ来た時に礼拝して坂東武士の結集を祈願した

神社の説明

洲崎神社のみのこおどり

神社の自然林

神社の説明

拝殿の額は房総の湾岸警備を担当した元老中松平定信が1812年に書いたもの 社号標は1820年のもの

おみこしが上り下りする洲崎神社のかいだん

海辺にある洲崎神社の鳥居

いわれのある大きな石

洲崎の灯台

洲崎の灯台

洲崎の灯台

洲崎の灯台

洲崎の灯台

外国船をうつ洲崎砲台の石がき@(江戸時代)

外国船をうつ洲崎砲台の石がきA(江戸時代)

いまも美しい洲崎灯台のけしき

ロケットをうつ洲崎基地(太平洋戦争)

源頼朝が洲崎に上陸した説もある それが臥島(がじま)だといい 臥竜島・竜島の別名もあるという

矢尻の井戸は上陸した頼朝が飲み水がないため岩間に矢尻をつきたてたところ清水がわいたという伝説の場所