お腹矢倉
 神余の東方小字地蔵畑に「五輪様」とか「お腹矢倉」といわれる墓がある。人里離れた山の斜面に洞穴(間口3メートル、 高さ2メートル、奥行3メートル)があり、その中央に宝篋印塔がある。この墓を住民は
「里見様が切腹した所」 といい「殉死できなかった家来は『うちなしが淵』(通称バクロウ川)に身を投げた。昔は淵に塚があったが今は無い」
と語り伝えている。里見氏一族でこの地で没したり、遺骨を葬ったという説はどの文献にも見あたらない。和頴猶人記録(明治10年記)に
「御腹窟ト云アリ 内ニ高サ二尺余ノ五輪塔アリ 是ナム神余安芸ガ割腹セシ処ナリトイゝ伝ヘリ・・・・・・」
とあり、神余景 貞の墓としている景貞戦死の地については文献の上ではほとんど記載されていない。わずかに『里見誌』に
「不残彼所にて討死す。 今此所を御腹穴倉という」
と書かれている。   『金丸氏家系』については、馬琴の『南総里見八犬伝』の創作的記述と史実とが混同して伝えられ、現在では偽作説が定説化していて史 実はほとんど不詳であるが、参考までにあげてみる。

  金丸安芸守源景貞居村東方字地蔵畠深山忍其傍石地蔵岩屋之主僧自性坊請於介錯而自死
  其の景貞亨名命五十有一歳 応永廿四丁酉年正月三日也 法名香山受心大居士 号自性院殿
  葬字地蔵畠深山小窟 此景貞死其山之小窟字名而後曰御腹矢倉也

各説から推量するに神余景貞の墓と思われる。

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