花立て (写真は、花立てから神余中心部を望む)

  源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、小字花立てで休憩し、この地に旗(幟)を立てたので「旗立て」と いっていたが、いつの時代にか、「はなたて」と呼ばれるようになった。一説に江戸時代に弓矢を射る訓練をした場所で、この地に、 旗や幟を立てた。「旗立て」がなまって「花立て」といわれるようになった。ともいわれている。また、この近くに「矢 先」という屋号がある。この家の方角に的を設け矢を射たので「矢先」といわれるようになったらしい。


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