鞨鼓舞 (写真は、鞨鼓舞を踊る高校生)
 

  古くから郷土に伝わる民俗芸能は時代の流れと共に世の中の多くの人々から忘れられようとしている。神余には約200年 前から伝わる民俗芸能の獅子舞があった。
 当時、この地方における祭礼の一大行事は獅子舞で、役割は、庭番(世話人役)が4人から7人のまわり番で役につき、大太鼓世話人、 のぼり持ち、笛氏、踊り手、太鼓かつぎ等であった。生活程度の低い家は太鼓かつぎを割り当てられ、この役に割り当てられた人は、来年こ そ太鼓かつぎをしなくてすむようにと、一生懸命一年間農業に精を出して働いた。封建時代らしい編成のしかたである。 獅子舞は祭礼の時、五穀豊作、一家繁栄を祈念する意味と日照りのおりの雨ごいのための行事で、神社の境内で行われた。
  神余の鞨鼓舞は、3人がそれぞれの獅子がしらを頭に、胸には太鼓をつけ、これを打って踊るもので「風流の獅子」とも言われている。昔、 神余は、戦国村と言われ、房州では一番米がとれたが、日照りが続いたため、米があまり取れなくなったので、雨ごいの踊りとして、鞨鼓舞 を踊るようになった。踊りの順序は最初、巫女の踊りで、つゆはらいやささらを鳴らしたり、へいずしを持って踊った。
  次は、しでぼうで、アマダレのかわり、頭に紙で作ったひらひらしたものをつけて、1メートルぐらいの竹の間にしめ縄を張って踊った。 次は、鞨鼓で、しめ縄の間を、三匹の獅子が太鼓をたたきながら、踊り回った。鞨鼓を舞う時に歌う歌は

   ひーおさおさ ひーとりゃーりゃと
     れゃとろとろりゃーりゃとろ
   ひひれれとろりゃりゃとろとろーりゃーりゃ
これを、7回〜8回くりかえす。

  獅子には、雄2匹、雌1匹で舞う。3匹の獅子で舞っていると、その中の雌獅子が逃げ出して、雄獅子2匹が雌獅子を嫁にもらおうとと りあいをする。そして、各地区の役員の家を踊ってまわった。
  古くからあった踊りも途中でやめた。大正15年から始めて日華事変で中止となり、終戦後また始めたが昭和25年に青年団が無くなっ て廃止された。昭和49年頃、3度目の復活となり、現在は高校生が鞨鼓舞を踊る。

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