西暦 年号 事       項
1439 永享11 2上杉憲実のために足利持氏自害。里見刑部少輔家基も自害する。(永享の乱)
1441 嘉吉 1 4結城城落城。里見修理亮討死し、首が上洛する。(結城合戦)
1447 文安 4 8足利成氏、鎌倉公方となり鎌倉へ帰る。里見義実、安房から出仕する。
1454 享徳 3 12足利成氏、里見義実・武田信長等を率いて関東管領上杉憲忠を討つ。以後関東大乱となる。翌年、成氏は下総古河へ移る。(享徳の大乱)
1456 康正 2 武田信長、上総に討入る。これにあわせて、安房の里見義実も稲村城から上総国境へ軍勢を出す。
1508 永正 5 9里見義通、鶴谷八幡宮を修造して、古河公方足利政氏の武運長久を祈る。
1512    9 8里見義豊、高野山舜教院と宿坊契約をする。
1514   11 6義通、弟実尭を次将にして北郡に討入り、妙本寺に陣を構える。
1515   12 3義通、妙本寺に城を取り立てて、実尭をおく。
1518   15 足利義明、下総小弓城に入り、里見氏これに従う。
1520   17 義通、下総本佐倉城の千葉氏を攻める。
1526 大永 6 5義豊、正木通綱に港湾都市武州品川の北条軍を攻撃させる。
1527    7 12義豊、上総鋳物師の大野大膳亮を房州鋳物大工職とする。
1529 享禄 2 6義豊、鶴谷八幡宮を修造して、古河公方足利晴氏の武運長久を祈る。
1533 天文 2 3義豊、北条氏綱から鎌倉鶴岡八幡宮の造営協力を依頼され、断る。
    7義豊、叔父実尭と正木通綱を殺害する。安房国が内乱になる。
    9里見義尭、北条氏の支援を得て、義豊を安房から追う。
1534    3 4義豊、義尭と合戦して滅亡する。義尭、家督を継ぐ。
1535    4 10義尭、北条氏の河越攻撃に援軍を送る。
1536    5 3義尭、北条氏綱の鎌倉鶴岡八幡宮の造営に協力して、材木を送る。
1537    6 5義尭、北条氏と手を切り、上総武田氏の内紛に介入する。
1538    7 10国府台合戦で足利義明討死。義尭も逃れて、義明の遺児を安房に引き取る。
1542   11 正木時茂・時忠兄弟、夷隅の武田氏を攻撃し、勝浦城を攻略。十三年頃には小田喜城も奪う。
1545   14 8義尭、鶴谷八幡宮を修造して、古河公方足利晴氏の武運長久を祈る。
    11義尭、石堂寺の多宝塔を建立して、天文の内乱で死んだ人々の供養をする。
1553   22 北条氏康、北郡の正木兵部大輔・西上総の峯上衆を手引きして、安房・上総に逆乱をおこす。安房へも北条氏が攻め入る。
1556 弘治 2 義尭、三浦半島に北条氏を攻めるという。
1558 永禄 1 11義弘、鶴谷八幡宮を修造して、古河公方足利晴氏の武運長久を祈る。
1560    3 9義尭、久留里城を北条氏康に囲まれ、正木時茂から上杉謙信に支援を要請する。
    12正木時忠、下総小見川に城を構える。
1561    4 4上杉謙信、小田原城を囲み、里見義弘もこれに参加。鎌倉で対面する。
1562    5 足利藤氏、古河城を追われて義尭をたよる。
1563    6 2義尭、下総市川へ出陣。謙信も武蔵岩付へ着陣する。
    閏12謙信、上野国で武田・北条軍と対陣し、義尭に援軍を依頼する。
1564    7 1義尭・義弘、国府台で北条氏康と合戦し大敗する。この年、勝浦の正木時忠、里見を離反して氏康につく。氏康に上総の諸城を落とされる。
1566    9 3謙信、下総臼井城を攻め、里見軍もこれに参加する。
1567   10 8義弘、上総三船山で北条軍を破り、上総を回復する。
1569   12 2義弘、下総市川へ出陣する。
    閏5氏康、謙信と同盟し、里見氏にも和睦を望む。義弘これを断り、武田信玄と結ぶ。
1571 元亀 2 10氏康没し、北条氏政、謙信と手切れする。
1572    3 2信玄、里見氏と北条氏の和睦を望む。
    12義弘、鶴谷八幡宮を修造し、足利藤政の武運長久を祈る。
1574 天正 2 6義尭没する。
1575    3 10義弘、上総横田郷・下郡などの奉公中に負債の免除をする。
    12里見義継(義頼)、武蔵金沢の商人山口氏に海上の安全を保障する。
1577    5 北条氏、上総へ侵攻して数ケ城を落とす。
    義弘、北条氏政と和睦する。
1578    6 5義弘没し、梅王丸家督を相続する。義頼、安房を支配する。
1579    7 5正木憲時、武蔵金沢の山口氏に商売を許可する。
    6上杉景勝、義頼との入魂を伝える。
    9梅王丸、武蔵金沢の山口氏に分国での商売を保障する。
    11常陸の梶原政景、義頼を味方に勧誘する。
1580    8 4義頼、西上総の梅王丸勢力を制圧する。
    7小田喜の正木憲時、義頼に反乱する。
1581    9 9義頼、憲時を滅ぼす。
1582   10 8義頼、甲斐国で徳川家康と対陣する北条氏直に援軍を送る。
1584   12 4義頼、商人岩崎与次右衛門に高之島湊がある沼之郷で屋敷を与える。
1585   13 義頼、豊臣秀吉に進物をする。
1587   15 10義頼没して、里見義康家督を継ぐ。
1588   16 11義康、秀吉に使いを送る。秀吉によって上総の領土の境目が確定される。
1590   18 4義康、小田原合戦に参加。惣無事令違反によって上総を没収される。
    9義康、上洛する。
1591   19 3従四位下侍従になる。
    7義康、家臣・寺社の知行替えを実施する。
    岡本城から館山城へ移る。
1592 文禄 1 義康、家康に従って九州名護屋へ出陣する。
1597 慶長 2 9安房国で太閤検地を実施。義康、家臣・寺社の大規模な知行割りを実施。
1600    5 9関が原合戦で、結城秀康に従い宇都宮へ出陣。恩賞として三万石を加増される。
1601    6 4義康、館山城下に市を立て、国中の商人に法度をだす。
1603    8 11義康没して、梅鶴丸(忠義)家督を継ぐ。
1606   11 7梅鶴丸、家臣・寺社への所領安堵を行い、城下商人を保護する法度をだす。
    11梅鶴丸、将軍秀忠の御前で元服して、忠義と名乗る。
1611   16 忠義、大久保忠隣の孫娘を室に迎える。
1613   18 10忠義の叔父里見忠重、上野国板鼻一万石を改易になる。
1614   19 9忠義、大久保忠隣の罪に連座して、安房国を没収され、鹿島三万石の替地として倉吉を与えられる。  
    館山城破却される。
1616 元和 2 忠義、倉吉近郊の北条郷八幡宮を修造する。
1622    8 6忠義没して、里見家断絶する。
    9家臣数名が殉死する。